そらほん。

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【熊本地震】井上晴美さんブログ炎上事件【炎上は必然?】

 熊本地震で自身も被災し、その被災状況などをブログで綴って、それが批判を浴び炎上してしまったタレントの井上晴美さんの事件について雑感を記す。彼女を擁護する立場のブログやテレビの報道について欠けているなと思うところがあったので。

 


 行きすぎた悪口や誹謗中傷が論外であることは無論前提だが、しかし、炎上コメントする人や批判する側にもそれぞれの事情・心情があると思う。それ(相手の気持ち)を察さずに批判してる点において、批判者らを批判し井上さんを擁護している人たちも、彼ら批判者らと同じではないだろうか。井上さんの事情・心情を察せず批判してる人たちと同じ。そういうと辛辣だろうか。でも、それをはき違えて擁護していては、単なる偽善になってしまう。

 


 ベッキーゲス不倫騒動の例を見るまでもなく、ただでさえ政治家や芸能人は一般人よりも叩かれる。知名度があったり人の上に立つ立場上、反感を持つ人も多いし、影響力もあるので他人より良識を求められる。有名人の立場や知名度は、通常はメリットが多いが、それに伴う責任もあり、諸刃の剣でもある。井上さんはその点で配慮不足だったのでは、と。

 


 他の有名人(同じ熊本の方であるスザンヌさんとか)の被災関連記事もある中で、比較的知名度の低い井上さんの記事だけが特に炎上したのは何か理由や落ち度があると思える。彼女のも問題があったのでは、と。

 


 記事内容(売名、泣き言、優越、自慢、驕り、煽り、愚かしさ、自己中心的など読者に感じさせるような文章)や、彼女自身の「炎上属性」、普段からの素行、過去の記事や言動、それで恨みを買っていたなどの問題がなかったのかどうか。

 

 

 例えば芸人などは普段から無茶なことをやってるので炎上しやすいし、アイドルやタレントならクリーンなイメージで売ってる場合、下衆なスキャンダルを起こせば大炎上する。特に芸人などは教育・道徳上悪影響なこともやっており、批判を受けるのも仕事だと割り切るべきもの。芸人に限らず芸能人は、多くの大衆の目に触れるので、ある程度その側面がある(批判したり不快に感じる人は少なからず必ずいる)。そういう自業自得・因果応報、職業上仕方ないという側面が、彼女にはなかったのかどうか。

 


 そういった彼女自身の問題と、批判を書いている人の問題。後者は各々事情がありそうだが、それは想像に難くないはず。人を批判したいやるせない気持ちや、他者に腹が立ち憤ること、自分の負の感情をぶつけてしまうことは誰にでもある。もちろん単なる嫉妬や憂さ晴らしもあるだろうが、どこかで(リアルでしづらい場合はネットで)つらい気持ちや怒りを吐き出さなければ、その人自身が壊れてしまうこともある。批判者の心情を解いてあげない限り、単に批判合戦をやっても、問題は解決しない。批判の無限連鎖を生むだけだ。

 

 

 批判者の抱えてる問題・不満・心情を解く責任は井上さんにはないが、少なくとも第三者が意見する場合は、その点(批判者側の心情)にも目を向けないと公平ではない気がする。暴力暴言をする人が自身も暴力暴言を受けていた、というのは親子の虐待の連鎖など以外にもよくある話だから。

 

 

 それとは別に全く関係ない私感だが、私自身、井上さんがテレビで本件の取材を受けて涙しながら「私は被害者なんです」という旨を語っているの(2016年05月19日(木)テレビ朝日羽鳥慎一モーニングショー」参照)を見たとき、何かしらの違和感・嫌悪感を覚えた。立場ある人なのに、自身の言動は省みずに、一方的な被害者面だけをされても、という感じだろうか。

 


 1人だけ被害者面されても、という反発は彼女が書いていたブログ記事に対する反応でも沢山あったのではないだろうか。彼女以外にも多くの人が被災され、彼女のように他所から支援を受けられない人もいたわけだし(井上さんはブログで、知人からの支援物資の受け取りはどこですればいいのかなどと記していた。それに対して他の被災者(やそれを代弁する立場)としては「そんなん知らんがな」と反感を買ったのではないか)。

 


 また、井上さんのように、仮に自宅が住めるような状況でないとしても、友人宅を転々とできるのは恵まれている方で、本当に頼れる人もいない、家を失った人たちは、避難所や独力で生活なさっており、その辺りもネット大衆の怒りに触れる原因だったのではないだろうか。

 


 彼女の言動は、テレビでの取材同様、ブログでも「私こんなに被害を受けたんです!」という、ある意味での被害者自慢・可哀想アピールが前面に立っていたのか(そうでなくても、そのような印象を読者に与えてしまったのか)。それとも、被災地の今を情報発信して誰かの役に立ちたいと思って読者目線でやっていたのか。

 

 

 前者であれば他の被害者への配慮に欠ける面がある。もし後者であるなら、被災情報発信が人のためであると信念を持ってしていたのなら、批判を受け炎上した後も、ブログ更新をやめずに毅然として情報発信を続けるべきだったと思う。途中でやめてしまったのは残念に思う。

 


 ブログないように、はっきりと区別しない公私の混同があり、それを感じ取った敏感な読者に、「私」の部分が批判されたのではないかと思える。芸能人は完全な「私」はなく、引退するまではネットも含めてメディアに載せている言動は全て「公」として見られ扱われてしまう(俗に言えばネタにもされてしまう)。その辺りの自覚が足りなかったのではないだろうか。

 


 上記のテレビ番組では、「なぜ井上さんへの批判が起きたのか」という疑問と、批判者らの心情を解き明かそうとはせず(批判の声には耳を傾けず)、深い取材もせず欠席裁判で一方的に批判者らを悪者にしており(もちろん誹謗中傷は一方的に非難されても仕方ないが、そうでない指摘などについてもレッテル貼りしてひとくくりに扱っており)、両者の立場を公平に報道せず、完全に井上さん擁護の取材方針、決めつけ報道だったマスコミにも問題があると感じる。過度の擁護・優遇は、余計に反発・反感を招くだけでもある。

 


 「悪口を書く人が悪い」という誰でも分かるような、意味の薄いありきたり報道、批判一辺倒の偏った意見・分析よりも、他者理解を促すような深い部分を考察・考慮した多様な意見の発信が求められるだろう。メディア機関も、個人としてのメディアである井上さんも、公の立場なのだから、私的な意見・私情に偏りすぎず、より多くの人に配慮できれば、大きく炎上することもなく、良かったのかも知れない。

 


 いずれにせよ、被災者の方々やそれで傷つき不満を持ってる方々の気持ちに寄り添って、救援・復興をしていかなければならない。